白川よう子STORY Vol.7

白川よう子STORY Vol.7

白川よう子STORY07

 「白川さん、参議院選挙に出てくれませんか?」当時の香川県委員長が私のもとに、突然こんな話を持って現れたのは、1998年の参議院選挙に向かう前年でした。四国は96年の総選挙で燃えに燃え、山原・春名の両衆議院議員という夢の2議席を獲得。次の参院選でも大躍進を勝ち取ろうとしていた時期でした。当時は子どもも2才。自分が候補者になんてとても考えられないと断ってはいたものの、今のままの政治でいいのか?自分にできることは?と問い続けた日々でした。当時「日米ガイドライン」が改定される時期で、母親としても「平和を守りたい」という思い、医療従事者として「医療や社会保障がこれほど切り捨てられるのを黙って見ているわけにはいかない」との思いに突き動かされ、参議院選挙に出馬することを決意しました。

1999年(右から)春名、山原衆議院議員と私

 1997年9月に行われた第21回党大会で「行くぞ香川からも国会へ!」と意気高く発言させて頂き、全国的にも大躍進の中で9万票を超える香川県ではかつてない得票を頂きました。2000年の総選挙では香川3区と四国比例の重複立候補。四国比例の定数削減の中で春名衆議院議員を国会へ再び送り出すことができました。01年の参議院選挙に再度挑戦し、3度の国政選挙を闘い、みんなで力を合わせて日本共産党の躍進の流れを作り出しました。

 2000年の総選挙で四国を回った時は、娘を徳島の実家に預けての挑戦でした。母親としては、あの時のことを思い出すと心が痛みます。ある時、娘に「ごめんな、つらい思いさせたなあ。」と話すと、「いやいや、どんな時も楽しんできた。白川よう子の娘で良かった。」と言ってくれ、心の荷が軽くなりました。

 私自身もこの道を歩いてきたことに誇りを感じるし、その生き方が自分自身の幸せのためだけでなく、社会進歩とともに歩んでいることに幸せを感じます。入党を訴える時も情熱をもって訴えています。「自分の生き方と、社会を前へと推し進める生き方が重なり合う人生を共に歩んでほしい」と。

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