実物みて実感する 民青が空襲の戦跡めぐり

実物みて実感する 民青が空襲の戦跡めぐり

城東高校の赤レンガ跡を示す高開氏(右から2人目)

 日本民主青年同盟徳島県委員会は10月6日、「徳島の平和と戦争を考える。徳島大空襲の戦跡めぐり」をおこないました。

 反核・平和フォーラム徳島の高開千代子代表委員の案内で、焼夷弾の直撃を受けて下半分だけが生き残った銀杏の大木や、城山の洞窟を広げた防空壕跡、焼け残った城東高校の赤レンガ塀など10ヶ所の戦跡を、「煙が入り込み防空壕から出ざるをえず、近くの池の中で、上から降る燃えた木の枝をよけながら一晩中すごした」など、高開氏が空襲体験者から聞き取った話を聞きながら、約2時間かけてまわりました。

 高開氏が「消せば消せる焼夷弾」と大書された当時のポスターの写真を示しながら、「対米戦争開始の前日、1941年12月7日に、『空襲の時に逃げてはならない』とする法律ができた。米軍は空襲前に予告ビラをまくこともあったが、国民は逃げることが許されないばかりか、『配給を止めるぞ』と避難先から呼び戻されることすらあった」と語ると、青年たちは驚きの表情を隠しませんでした。

 徳島市の大学生(23)は「数字ではわかない実感が、実物を見るとわく。公園の木や、普段利用している銀行の建物など、説明されないと分からないところに、戦争の傷跡が残されていることにおどろいた」と話していました。

 終了後の討論のなかで「日本はどんな過程を通じて、何も言えない社会になっていったのかな」との疑問が出され、「今の日本も同じじゃないかな。『こんな働かされ方おかしい』と思っても、上司や会社には言えず、せいぜい仲間で愚痴るだけ。そういうことが積み重なると何も言えない社会になるのでは」「おかしいと思った時に、ちゃんと声を出せる状態を守っていかないと、戦争を防ぐことができなくなるね」と話し合っていました。

――――徳島新報2018年10月14日号より

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