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白川よう子新パンフレット

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白川よう子新パンフレット

 

新型コロナウイルスが私たちの生活を一変させた。
息が詰まりそうになることもある。
マスクをしているから?
そうじゃないことは、みんなわかっている。
人々のいとなみを大切にせずこの国の繁栄など、あるだろうか。
苦難の経験は、もはやそこにとどまらない。
経済効率のみを優先する政治から人々が生きていくために必要不可欠なものを優先する政治に切り替えるとき。

 

白川よう子プロフィール

1966年・徳島県つるぎ町(旧貞光町)生まれ。徳島県立脇町高校、日本福祉大学第2部(夜間)で働きながら学び卒業。徳島健康生活協同組合、香川医療生活協同組合に勤務。娘が2歳の時に初めて国政選挙に立候補。2003年、香川県議に初当選。4期14年目の2017年、県議を辞して衆院選挙に四国比例から立候補するも涙をのむ。再び四国の議席獲得をめざす。

 

白川よう子新パンフレット

 

白川よう子新パンフレット

 

筋ジスで逝った
義兄から受け継ぐ「生」

 2年前の7月、義兄は旅立った。進行性筋ジストロフィーという難病を抱えながら、最後まで気管切開もせず65歳まで自宅で生き抜いた。35年ほど前に姉と結婚を決めた時、医師から「10年もちませんよ」と言われた言葉を「うそつきやな」と家族中で笑った日々が懐かしい。

高校生のとき義兄と

 義兄は物静かな人だったが、療養していた病棟で「患者会」を立ち上げたこと、筋ジス患者であるがゆえに経験してきた出来事をいろんな場で語ってくれた。研究のためだと有無を言わさずお尻の筋肉を採取され、「失敗した」ともう片方のお尻にもメスを入れられた。痛くて上向きで寝られない日々が続いたことなどは序の口で、「患者の権利」はかけらもなかったことなどだった。

 私はそんな話を聞いて「理不尽だ」と煮えたぎるような思いを覚えたが、彼はそんな感情は微塵も見せなかった。

『青春の架け橋~ある筋ジストロフィー症の青年の決意』正木 美帆(著)

 先日、義兄の3回忌を迎えた。姉は『青春の架け橋〜ある筋ジストロフィー症の青年の決意』という本(私も時おり登場する)を出版し、彼の思いを筋ジスと闘い続ける患者さんたちに伝えている。

 たくさんの皆さんに支えられて、「最期をどう生きるか」を自分の意志で迎えた義兄の「生」から、私はたくさんのことを学ばせてもらった。これを自分の「生」にどう生かし組み込んでいくかが、彼の「生」を受け継いでいく唯一の方法だと感じている。

日本共産党に出会い私の本史が始まった

 高校生の時に父親のDVから逃れるために両親が離婚、母に連れられて制服とカバンだけを持ち家を出たのはいいけど、貧困のどん底。みかん箱を机にして勉強する毎日。アルバイトをし、自分の机を持つことができた喜びはいまも忘れられません。

 姉が義兄と結婚。義兄は進行性筋ジストロフィーで小さい時から車いす生活。一緒に暮らす中でたった数センチの敷居も越えられない。これをきっかけに様々なボランティア活動に関わるようになりました。

 「社会福祉の道に進みたい」と、家庭の経済的な問題の中で悩み、夜間の大学へ進む決意をしました。

「すべての人が幸せに生きられる社会をつくるには?」この答えが

善通寺診療所で働く白川氏(左)

 看護師さんが夜中に何度も患者さんの寝返りをうたせても、診療報酬は何の収入にもなりません。逆に寝かせ切りにして大きな床ずれを作って処置すれば収入になります。

 就職した当時は、高齢者の医療費は無料。自己負担が導入され、その金額がどんどん増えてきました。社会保障が命を守るものではなくなっていることで目の前の命を救えない現実に直面する日々。

 そんな時に婦長さんたちから入党を勧められました。日本共産党に出会い、小さい時から思い悩んできた「すべての人が幸せに生きる」社会をつくるには政治を変える必要があるという答えを見出すことができました。私自身の本史が始まったと実感した時でした。

県議14年の経験を国政の場で

 貧困のどん底を経験し必死にもがいていた私は、たくさんの出会いに支えられてきました。

 給食費を払えない家庭、長年連れ添った夫や妻に十分な介護や医療を受けさせることができない夫婦、もうずっと非正規の若者。いつ貧困に陥るかわからない不安、抜け出すすべが見つからない焦り、そんな相談をたくさん受けてきました。

 だから議会で質問していると、精いっぱい生きている人たちの姿が浮かんでくるんです。そんな時にヤジが飛んできたら、絶対に許せなくて、キッチリ言い返す。

 でも一番許せないのは、貧困や格差を生み出す政治そのもの。

 前回の総選挙は、14年間の香川県議を辞しての挑戦でした。いま、どこに行っても一緒にたたかう仲間や、思いを共有する人々がいて励まされる日々です。

 四国で生まれ、四国で育ち、四国中の人々の苦難にとことん寄り添う議席として「自分自身の人生をかけたたたかい」を全力でがんばります。

 

 

白川よう子新パンフレット

 

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